言語聴覚士として働いている中で、一番しんどいと感じるのは、結果そのものよりもその後に残る”自責感”かもしれない。
特に誤嚥性肺炎のリスクが関わる場面では、その感覚が強くなることがある。
誤嚥性肺炎は「ST一人の問題ではない」
実際の現場では、誤嚥性肺炎の発症は単純なものではない。
患者さん本人の嚥下機能だけでなく全身状態や体力、意欲、病棟での口腔ケア状況、看護・介護の関わり方、他職種のリハビリやDrの方針等さまざまな要因が重なり合って起きる。
つまり、ST一人の判断や介入だけで決まるものではない。
それでも残る「自分のせいかもしれない」という感覚
食事形態や摂取方法の工夫、姿勢の調整、訓練内容の工夫等できる限りの介入を積み重ねていく。
それでも、肺炎を発症される状況になってしまうことがある。
現場で関わっていると、ふとこう思ってしまう。
「自分の関わり方が違っていたら、防げたのではないか」
「もっとできることがあったのではないか」
と自責感が残る。
いつ誤嚥されてもおかしくないギリギリの状態で経口摂取を続けている方も多く、休日も気持ちが休まらない。
「経口摂取が難しい」と伝える重さ
またその時に必要になるのが「経口摂取の継続が難しい可能性がある」という説明である。
この瞬間がとても重い。
本人やご家族にとっても大きな意味を持つ場面であり、その説明をする側としての責任も大きい。
その判断は言語聴覚士だけで決まるものではなく医師、看護師、リハビリスタッフ等全体で総合的な判断になる。
それでも食べることに最も近い立場として関わっていることで、その中心に立つことになる場面も多い。
多因子が絡み合った結果だと分かっていても消えない感情
肺炎の発症は多因子で起こるものであることは理解している。
しかし現実には、その場面に深く関わった自分が、最も近い存在として”責任”を感じてしまう。
「自分の関わりの影響だったのではないか」
という思考が頭をよぎる。この瞬間が想像以上に重い。
責任と結果が結びついてしまう構造
誤嚥性肺炎を発症したからといって責任と結果は単純に一致しない。
しかし、「食べること」に関わる職種の言語聴覚士としては自責感を感じやすく、自分の介入そのものを振り返り過ぎてしまう。
それでも現場は続いていく
もちろん全てのケースがうまくいかない訳ではない。
工夫によって経口摂取が安定する方もいるし、食べられるようになり、元気に退院してく方もいる。
一方で関わりを重ねても思うような結果につながらないこともある。
その現実を知りながら、それでも関わり続けるしかない場面がある。
その繰り返しのなかで、自分の中に残る感情とうまく折り合いをつけながら働いていくしかないのだと思う。
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